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2013年3月23日 (土)

ザ・タイガース

ピーが監修したベスト盤レッドディスクとブルーディスクを一気に聴いた。

聴いている間、私は45年の時間をさかのぼり、不安定な心を持った少女に戻っていた。

Julieに夢中だった。タイガースが大好きだった。

いまでも考える。何故あれほどはまったのだろうかと。

小学生でも中学生でもなく高校1年生だった私だが、年の割には幼かったから、気分は中学生だったのだろう。

タイガースファンの女の子達が、大人の迫害に立ち向かったように、私にもタイガースは必要だったのだ。
私は、親の強権に辟易していた。

少女達は、タイガースという美しいものを手に入れて、それを守るために大人と戦った。
それほどタイガースは、今まで見たこともない美しい存在だった。

美しいものを美しいと、好きなものを好きと言える自由。
それに夢中になる自由。
それだけの自由なのに、世の中は、少女の自由をそこまで認めていなかった。

そう、私も(人には分からないだろうが)父親の強権と戦った。
だから、タイガースは必要だった。はまる必然があった。

あの時代のあの熱狂は、まさに少女達の戦いの熱ではなかっただろうかと思う。
男の子達には、もう少し自由が認められていたかもしれない。
GSは、女・子どものものという偏見は存在したもの。

「ロックジェット」を読むと、GS、ザ・タイガース、Julieを敬愛する文章にたくさん触れることができる。

やっとだ。

痛快だ。

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