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2011年6月11日 (土)

チャコール・グレイの肖像

このアルバムを聴きながら、1冊の本を読んでいる。

石原信一著「ザ★スター 沢田研二」だ。
ここには、1976年のJulieがいる。

冒頭に、こう書かれてある。

「1976年は沢田研二にとって傷だらけの山河であった。およそ予期できなかった逆境の日々であった。歌手生活10年という飛躍の年に、神の試練は容赦がなかった。
これから綴るのは、そういう闇の時代を一条の光めざして走り抜けた男の記録である。」


このLPはもちろん持っている。
とても地味で、ポスターはあるにはあるが、長い塀ばかりで、Julieは小さくしか写っていない。
ジャケットも同じようだ。
Julieの綺麗な顔はどこにも見られない。

タイトルからして地味だ。
チャコールグレイなのだから。
でも、チャコールグレイ、なんていい響き。
企画をした久世さんが考えたのだろうか。

Julieが全てを作曲している。
謹慎をしていたとき作曲したのだろうかと思う。

上記の本の中に、当時のマネージャーの森本精人さんの話が載っていて、印象に残っている言葉がある。

「曲が多少ヘビーなのが気にかかる。やはり謹慎という重い状況の中で、素直に歌を作ったとすれば、こういうメロディーラインになるのだと思う。いまにきっと、ハッピーな歌を作らせてみる。きっとだ。」

確かに地味だけど、私は、このアルバムが非常に好きなのだ。
レコードプレーヤーを買った時に一番に聴いたのはこのアルバムだったし、LPをCDにする方法を知った時、一番にCD化したのもこのアルバムだった。

青春の光と影があるとしたら、石原さんが言うとおり、これは影の時代のアルバムだ。
しかし、Julieはもともと、影のあるスターだった。
そこが神秘的だった。
そういうJulieの暗い部分には、とても惹かれてしまう。

私がこのアルバムに惹かれるのは、きっと同じ理由からだと思う。

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